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2017/09/19 08:50


丹生川上神社の歴史は、奈良時代の天平年間までさかのぼります。

降雨・止雨を祈る社として、朝廷の篤い崇敬を集めてきました。


今から1300年余り前、710年に平城京が造営されました。

唐の都「長安」をモデルにした本格的な国際都市で、平城京を中心に、律令国家としての体制整備が進み、壮大で華やかな天平文化が花開きます。
その繁栄ぶりは、『万葉集』の歌に「あをによし奈良の都は咲く花のにほふがごとく今盛りなり」と詠まれています。


この奈良時代の淳仁天皇の御代(天平宝字 7 年(763 年))、初めて、丹生川上神社が歴史に登場します。

祈雨のため、幣帛に黒毛の馬を加え丹生河上の神に奉ったと『続日本紀』が伝えています。


「幣帛を四畿内の群神に奉らしむ。其の丹生河上の神には黒毛の馬を加ふ。旱すればなり。」 『続日本紀』


幣帛(みてぐら)とは、神様に奉る供物のこと。

このとき、大和は長く旱(ひでり)が続いて水不足に苦しんでいました。そこで、淳仁天皇みずから、畿内にまします主要な神神に幣帛を奉り、その中でも特に、丹生川上の神には黒馬を加えて祈ったと伝えているのです。


これ以降、旱には黒馬を、霖雨(ながあめ)には白馬を奉ることが慣例となっていきます。尚、黒馬は慈雨をもたらす黒雲を、白馬は晴れた空に浮かぶ白雲を象徴しています。

このように、天平の華やかなりし時代には、丹生川上が雨乞いの社として確立され、朝廷の絶大な信仰を集めていたことが分かります。

そして、奈良時代を通じて、黒毛馬の奉納が 10 度、白馬の奉納が 3 度に及ぶほど、丹生川上社に対する篤い信仰があったと伝えているのです。


丹生川上神社の歴史、それは今から1300年余りも遥か昔から続く、水をめぐる信仰と祈りによって織りなされていたのです。


五穀豊穣をもたらし万病を癒すとされる丹生川上神社の御神徳

古来より、日本は水に恵まれた気候と風土に育まれ、人知の及ばない自然とその恵みである「水」に対し、日々感謝の祈りを捧げ、また同時に畏怖の念を持って接してきました。


稲作によって命をつなぎ文化を発展させてきた日本人にとって、特に水神を祀る信仰は奈良時代以前はるか昔にさかのぼり、日本最古の書物『古事記』に早くも「豊葦原水穂国(とよあしはらのみづほのくに)」という「日本」を指す美称が登場します。


丹生川上神社の御祭神は、罔象女神。古く、『日本書紀』に登場する水の神です。

御神徳は、五穀豊穣を願う祈雨・止雨にその原点があり、朝廷から絶大な信仰を集めてきました。
また、水は命の源であり、心身の穢れを洗い流し、気持ちを新たにする力があるとされるところから、その御神徳は万病を癒し、健康長寿、商売繁盛、家内安全、合格祈願などあらゆる方面で大きな信仰を集めてきた歴史があります。


こうした歴史から、古くは官幣大社に列せられ、また現在、水神宗社として全国の水神信仰の中心に位置しています。

この水神の祖神様(おやがみさま)の御神徳により、社内にある「丹生の真那井」は、今でもその御利益と美味しさを求めお水取りにいらっしゃる人が絶えません。

また、毎年開催される水神祭には、東電や関電はじめ水利系大企業の皆さんが一堂に会し、水の恵みに感謝の祈りを捧げています。


丹生川上神社へのアクセス

丹生川上神社は、奈良県吉野郡東吉野村にあります。

最寄り駅は近鉄「榛原駅」。ここから車で30分ほど山の中へ向かった先にあります。

丹生川上神社はコチラで詳しく!

周辺は高見川を中心に、夢渕や東の滝など水の豊かな自然環境があります。

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